2009年10月31日土曜日

アンダルシアの名も知らぬ楽器 前編



栄太郎が、その少し変わった、みすぼらしい親爺と出会ったのは、即席に置かれた店頭のカウンターだった。

祭りの季節、五月のアンダルシアの小さな町。
そのまた路地の奥にある、小さな広場に面した店。

何故こんな所に、しかもやがて夜中になろうとする時間に、独りっきりの東洋人である栄太郎が居るのかは、長くなるので省く。
ただ、彼はその夜その場に居たし、また、その親爺も居たのだ。

もちろん栄太郎は、みすぼらしい親爺などに興味は無く、生ビールを呷りながら広場に集まる女たちを見ていた。
すると突然、乾いた音がリズムを刻み始める。

思わず振り向いた栄太郎の正面に、その親爺が居たのだ。

その親爺は、なにか棒状のものを手にしているが、それが何か栄太郎には判らなかった。
見た事もない楽器だし、そもそも、この独特の音にしても聞いたことが無い。
しかし、そんな事にはお構いなく、情熱的なセビジャーナスのリズムが、そこから生まれていた。

栄太郎は女の子の品定めを忘れ、その親爺の手の動きを凝視していた。
しかし、判らない。何がどうなって、その力強く、また軽やかで味わいのある音が出るのか…。

親爺は栄太郎の視線に気が付いたようで、得意満面という笑顔を見せながら、さらにスピードを上げてリズムを刻み始めた。
目で追えないほど速い手の動きに、栄太郎は圧倒された。
もっとも、彼の手がよく見えないのは、単に照明が薄暗く頼り無いせいだったかもしれないが…。

親爺は、一曲弾き終えると、栄太郎の方を見てもう一度笑った。

一曲弾き終えると、親爺はカウンターに群がっている人たちを掻き分けるようにして、栄太郎の傍に来た。
そして、手にしたものをグイっと彼の前に突き出したのだ。

それはどう見ても、一本の単なる竹に過ぎ無かった。

あの豊かな音楽が、こんな竹の切れ端から生まれたとは信じ難かった。
親爺は栄太郎の表情で察したのだろう、その場で、一曲演奏し始めた。

目の前で、空気を震わせる音の塊が生まれ、空に吸い込まれて行く。
みすぼらしい親爺が、神に見えた瞬間だった。 


続く

0 件のコメント:

コメントを投稿